みかげ山手ロール西隣
山手幹線沿い
広々駐車場
8台分設けております!
お車でご来院頂いても安心です。
医院名 |
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中澤小児科 |
院長 |
中澤 道人 |
住所 |
〒658-0047 兵庫県神戸市東灘区御影1丁目14-25-101号 |
診療科目 |
小児科 |
電話番号 |
078-856-6631 |
「どんな治療法があるの?」
「治療にかかる期間は?」
疑問に思う事、何でもご相談ください。
TEL 078-856-6631
貧しい新聞社の書生の家庭で育ち、奨学金とアルバイトで苦労しながら一中・一高・東大医学部を卒業後無給のインターンでは生活出来ない為、有給の軍医学校へ進学。
首席で卒業し恩賜の銀時計を授与される。
東大医学部大学院へ進学させてもらい卒業後は軍医学校教官となり、戦地へ赴くことなく終戦。
国立熱海病院副院長在職中に、公職追放にて熱海市で開業。
志賀直哉・谷崎潤一郎といった著名人の主治医を務め親交を結ぶ。
幼稚園等を経営する比較的裕福な家庭に育ち、兄は九州大学医学部に入学するも、「東大か京大に入らなかった。」
と勘当され九州大学を退学。翌年、東大医学部に入り直す。東大医学部で父とは同級生となる。
卒業後、厳格な家風を嫌い、船医として一生を送る。
一方、母は医学部進学の意志が無いと答えると、翌日から食事内容も兄とは全く異なり粗食にされて育つ。
小学校の卒業式で総代として答辞を読むと、式場の父兄席のあちこちで上記のような批難の声があがり、母は顔から火が出る程恥ずかしかったという。
児童会の会長選挙に出ると、6年生の4クラスから1人ずつ立候補し、4~6年生の600人が 投票する中で500票以上集めて当選したものの児童会が発行する児童会新聞では、「先生のえこひいきは存在するか?」「小学生の正しい男女交際のあり方」等をテーマに発行した為、発刊停止処分もしばしば・・・。
高校時代は学生運動に参加。
片道2時間半かけて東京へデモに動員され、成績は急降下。
英数国は良かったものの理科・社会は全く手つかずの状態。
数十年経た今でも、「受験まで後2ケ月しか無いのに、物理も化学も全く勉強していない。」という
夢を見て冷や汗をかいて目醒める事もしばしば・・・。
同期の神戸大学小児科入局者は14名。
クジ引きで当初当時の小児科医5名の県立淡路が当たる卒業1年目の11月から小児科医定員2名の県立加古川病院の正規スタッフとなるクジを引いた同期がどうしても嫌だというので男気を出して交替。
上司の当直でない日は毎日病院に泊まり込み、17床の一般小児と年間600に達する出生数の新生児室の病的新生児全員の主治医となり、3日間Ambuバッグで人工呼吸をしたことも。
2年目からは週に2回1診(1診のみ)週に4日2診と処置係りを担当。病棟はすべて1人で担当。
死に物狂いで働きました。
医師になって3年目の夏、副院長のF先生に退任の挨拶に行ったところ「先生が辞めたらうちの病院の小児科はどうなってしまうのでしょうね。」と言われ、お世辞でもとても嬉しくなり、又ジュースの詰め合わせも持って電話交換室に退任の挨拶に行ったところ「電話交換室に挨拶に来られた先生はあなたが初めて。」と言われました。
3年目の夏、大学院生として大学へ戻ると助教授からつけられた渾名が「博士」(無論学位は未取得)医局員からは「メディキャスの中澤」(メディキャスとは神戸大学付属病院小児科で当時使われ始めていた点滴用の留置針Medicathのこと。何故か当時はメディカットと呼ぶ人が多かった。)
点滴が中々入らないと介助している看護婦さんから名指しで呼ばれ、そのうち消灯時間前には点滴の洩れていそうな患児のチェックと入れ直しを行うようになり、「夜の点滴廻診」と呼ばれるようになりました。
大学病院で研修医2名の指導医になると、自分の腕と手背を利用して採血と点滴の練習をさせた為に、手と腕は麻薬常習者でもこうはなるまいというぐらい青紫色に。
そのうちに他の指導医についた研修医から不満の声が・・・。「中澤先生の下につくと、中澤先生の腕で徹底的に練習させてくれるのに自分達の指導医は全く練習させてくれない。」
3年目の春、医局長から呼ばれて「お前は研修医の指導をしなくていい。自分の腕の血管で採血や点滴の練習をさせるのはお前が初めてだ。お陰で他の指導医が研修医から練習台にならない事を責められて閉口している。」
当初、午前診2日、午後診3日も診察日以外でも「中澤先生に診て欲しい」という患者さんが来られると病棟の仕事が
終わり次第、外来へ・・・。数年後、年間外来患者数が約2倍に急増。
上司から「神鋼病院小児科に来ている患者さんの8割はお前に診て欲しいと思っているんだろうな。」
と言われました。
年末に260名程が受診された時に2診にいた私の診察券入れに200名以上の患者さんが診察券を入れられました。
平成13年秋に、東灘区薬剤師会が休日輪番制当番調剤薬局の制度を開設したことに呼応して平成13年暮れより、日
曜・祝日の休日診療を開始。
最初の年の元旦と4月29日に発熱で休んだ以外、1日も休まず休日診療を続け、勿論平日の診療も1日も休むことな
く続けています。
ギネスブックは無理でしょうが、当面の目標は20年間1日も休まないで診療を続けることです。